日本一周140日目
2020年10月3日
日本一周140日目🇯🇵 佐賀
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稲佐山→長崎平和公園→ 長崎新地中華街→道の駅長崎街道鈴田峠
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天気 晴れ
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朝起きたら
ゲートボールが始まり気まずくなったので
そっと出ていきました
今日は朝一
長崎平和公園へ向かいます
長崎市はなかなか栄えているのでバイク止めるとこなくて焦ったけど
まあまあ遠くに停めて移動
移動中にも原爆の恐ろしさを忘れない為にも
跡地として残っている
高校だった場所
当時は220人も亡くなった
二度と繰り返されないことを祈ります
Pl
野球の強い学校は知ってるがそもそも宗教だとは知らなかった
初めて見た
人生は芸術
人それぞれちがって個性を表現していくもの
なんとなくわかる気もする
こっちには刑務所の跡地
基礎のコンクリート意外は一瞬にして無くなった
原爆の破壊力を物語っている
長崎の歴史を知りながら
平和公園へ到着
修学旅行先の定番
よく見るところ
平和の象徴
鶴一羽一羽に平和の思いが込められているような気がする
右手は原爆の脅威をを示し左手は平和を意味するポーズになっているそうです
これは何かわからないがきっと平和を願ったものだろう
まさに地獄絵図
こんな世界が80年前にはあったなんて
恐ろしい
平和を願います
綺麗な噴水
被爆者は熱くて水を求めたので泉をつくり
いたましい霊に水を捧げている
命の水です
冥福を祈ります
そして
原爆が落ちた中心地に訪れた
これが中心地
今では整備されているが
当時はこんな感じ
同じ場所とは思えない
これを原爆一つで一瞬でこの光景になると考えると恐ろしい
核兵器の恐ろしさを忘れないためにも大事な場所だと思った
恒久平和を願います
瓦などがまだ落ちたまま保存されている
一家があったところが、一瞬で瓦の残骸になるのは悲しすぎる
この川は当時水を求めてきた人の死骸でいっぱいだったところ
今は綺麗な川が流れてる
霊が癒されることを祈ります
みんな平和を願ってます
原爆のことについて知るために
11時2分で止まった時計
その前まではどんなことをしていたのだろうか?
いろいろ考えさせられる
こんな小さい子供が訓練してる
学校に通うのが今では当たり前なのだが
この時はこれが普通なのだろうか
強制だとしたら嫌だ
長崎のキリシタンは弾圧を受けていた
、そういう歴史的過去もあったみたいで
信仰の象徴のお堂をこっそり建てたが原爆で無くなってしまった
貿易をしていた長崎だからこういうキリシタンの建物やロザリオが残っていたりする
歴史の多い場所です
聖なるロザリオがこんなになるなんて
原爆は恐ろしいの一言
原爆ファットマンの模型
原爆は落ちた後も猛威を振るい
後遺症でたり死んだらする
生まれてくる胎児にまで影響がある
昔の小さい子供は立派すぎる
家族愛が昔の方があるように感じる
追悼空間
平和を願います
水はどんな時も癒しで大事なもの
原爆さえなければとおもってしまいます
平和公園でした
次は
長崎の中華街へ来ました
腹ごしらえ
江山楼
チャンポン
あまり期待してなかったが
魚介のダシが美味しいラーメンでした
チャンポンの株があがりました
港公園
昔貿易していたのもありハイカラな街
この公園は中国風にしてある
妙に可愛い子の多い長崎の中華街でした
何やら雰囲気が変わってきた
石畳がオシャレな坂
出島に住むオランダ人の影響から東洋人以外の外人をオランダさんと呼びよくオランダさんがこの坂を歩いていたからとい由来がある
オランダ坂と言われるのにもこんな理由があったのか、
色んな文化のある長崎は歩いていて楽しい
夜はここ
出費1369
距離54キロ